もう人生に過度なガマンは止めにしました(その1)

2017/11/02働き方うつ病, エンジニア, 過重労働

もう人生に過度なガマンは止めにしました…を決意するまで(その1)

希望の転職

2016年11月からSIerを脱出し、WEB系事業会社へ転職し、社内SEになりました。
今までは要件通りにシステムを構築すればよかったのですが、事業会社では業務部門と
一緒にシステムを作って、事業を育てる…そんな都合の良いイメージで転職しました。
ウォーターフォール一辺倒な開発ではなく、アジャイル開発に挑戦でき、
管理だけでなく手も動かすことができると、
ひたすら「やりがい」を第一に、「収入」は二の次として
人生を本気で充実しようとしていました。

コレがデスマーチです

そこに待っていたのは、「自社サイトと親会社のサイトの統合案件」でした。
上層のオーダは「半年でサイトを一つにして。機能は2つのレガシーサイトを良い感じに
ブレンドして。」という無茶なものでした。
入社時から要件定義していたからという理由で全開発・基盤チームのプロジェクトマネージャに
任命され、プロジェクトをどう進めるのかを右往左往しながら、何とかしてメンバを
引っ張っていきました。

3ヶ月後ぐらいのステアリングコミット(天上人の会議)の場で、自社の決定権が強い
(声の大きい)方から親会社が決めた要件やフロント画面は承認していないと、
ちゃぶ台をひっくり返す事件が発生します。

20人月の機能追加やゼロベースでのユーザインタフェースの見直しが強行される中、
サービスイン期限は伸びないという地獄の門を開くのでした。

優秀なビジネスパートナの頑張りで、開発メンバを増員してもらい、自身も増え続ける課題や
調整事項に忙殺され、1ヶ月の延長までこぎつけたものの、
期間圧縮で超ハードモードなプロジェクト状態は変わりません。
(周辺システムのベンダー会社からは2日伸ばすだけで数千万円の維持費用が追加で必要と
間接的に脅しがありました。)

管理監督者として採用された私は、社内メンバ1人であったこともあり、
自分がガンバルしかないと思い、 残業代/休日出勤の時間外給料は0円でも仕事に奉仕し続けました。
顧客からは進捗が遅れていることを責められ、業務部門からはシステム仕様のダメ出しや
運用計画を押し付けられ、月の稼働時間が280時間を超えた頃から、
私の精神の何かが壊れはじめました。

モウ・・・ドウナッテモイイ

朝起きられずに寝坊が当たり前。吐き気、頭痛、腹痛を我慢して出社しようとしますが、
途中下車や駅のホームのベンチに座り込み、1本、2本と電車を見送ることが日常化してきます。

朝や夜中に妻の顔を見て、励まされると泣き崩れてしまうほど心が疲弊してしまいました。
通勤の電車でBUMP OF CHICKENの「オンリーロンリーグローリー」を聞いて涙が止まらなくなるなど、
今から考えれば本当に平常ではありませんでした。

家族を養う立場であるにもかかわらず、生きていることが虚しく感じられ、ホームから線路に
吸い寄せられそうなある日、あるサイトを見て、今すぐ生き方を変えたいと決心することになりました。
(長文となってしまったため、次の投稿に分けます)